思いもよらない鬼ごっこ
          〜789女子高生シリーズ

           *YUN様砂幻様のところで連載されておいでの
            789女子高生設定をお借りしました。
 


      




 あっと、不意な間合いに平八が声を上げ。トレイの上へ載っけたばかりの抹茶パフェ、危うく転がしそうになった五郎兵衛が、

 「如何したか、ヘイさん。」

 大きな肩越し、うら若き許婚者こと、赤い髪の女子高生を振り返れば。藍染めのエプロンを涼しげなノースリーブのサンドレス風カットソーの上へ重ねたGパン姿の美少女は、その身へ何かあったというよな様子ではないながら、その猫のような金茶の双眸を大きく見開いており。

 「思い出したんですよ。
  ○○大学工学部の、確か素材工学科に、今 ちょいと注目を集めてるお人がいるって。」

 そうだそうだ、それでガッコの名前にピンと来たんだと。話が半分見えていない五郎兵衛をよそに、一人で“うんうん”と納得している彼女であり。

 「まだ院生の身でありながら、
  何とかいう多層構造樹脂素材の、画期的な加工方法を開発したとかで。
  エコロジーに随分な貢献が果たせるとかいう話なんで、
  様々な業種世界から早くも注目されてんですよね。」

 工学、つまりはエンジニアリングですからね、すぐにも工場生産へ生かせるような、手法というか方法論というかを研究している学部ではありますが。それでも普通、企業が構える、資産も潤沢で先進のエキスパート揃いの研究所にはなかなか敵わないし、そも勝とうという激しい競争意識は滅多に持たないのが、大学の学術研究所なので。そんな場にひょこりと、今すぐにでも広域応用の利きそうな代物が生まれたとあって、

 「関係各社による争奪戦になるか、
  いやいやその前に、誰が何処が主導の成果とされるのかで揉めないかとか。
  今やそんな下世話な話にまで、周囲の取り沙汰は及んでいるそうで。」

 まさかとは思いますが、久蔵のお見合いの相手って その研究班の人だったりしてと。そんな色々を ぺぺぺっと連鎖させての、唐突に思い当たったもんだから。ついつい奇声を上げてしまいましたすいませんと。首をすくめての眉を下げ、お茶目に謝ったひなげしさんであり、

 「う〜〜〜ん。
  まあ、今すぐどうこうという話ではないのなら、
  某
(それがし)は構わんが。」

 といいますか、何がという肝心な主語がすっぽり抜け落ちたまんまなので、五郎兵衛には何が何やら、一向に話が見えないままだったのだけれども。どこかで七郎次や久蔵相手に話していたことへとリンクする余話を、唐突に思い出したのか。いやいや、素材工学がどうのと、結構専門的な話のようだったから。先の夏に訪日した彼女の祖父との、会話の中に出て来た話題の一端を、以下同文…ということなのか。工学関係のあれこれへはずば抜けて賢く、しかもしかも切り替えの鮮やかな平八には、独り言の延長のようなこういうことがままある方なので、こたびもそれに違いないと深くは言及しなかった五郎兵衛もまた、なかなかに許容が広いお人だったりし。

 「すいませ〜ん、ワラビもちから当たりくじが出て来たんですけれど♪」
 「おおっ、それはおめでたいっvv」

 平八発案の、食べても無害なデンプンペーパーによるおみくじ入りワラビもちは、1日20皿限定なのに、毎日あっと言う間に売り切れてしまう人気ぶり。当たりは1日8皿で、それのラストが当たったらしく。ご褒美と銘打った 栗か柿を模した練りきりをおまけにとメニューにあるそれを、どっちにしますかとお伺いに素っ飛んでったお嬢さんを見送って。後回しに出来る程度の話であったらしいと、納得した五郎兵衛だったのもまた、仕方がない話であり、




       ◇◇◇


 すごいぞヘイさん、大当たり。…………いや、これでは話が繋がらぬ。まさかねぇと、単なる思いつきだが、そうそう何でもかんでも繋がらないやねぇと、彼女自身もかぶりを振って降り払ったまさにそれ。○○大学工学部の、素材工学 某教授ゼミ内 第3研究班の手掛けた実験で実証された、それはそれは画期的な近未来素材の加工法の。大元の祖案を思いつき、しかもそれへ最も反応のいい酵素を、自然界にあった有機物から見つけ出した人物こそ、この神田利一郎さんだったものだから。

 『そうか、それで。』
 『そんな乱暴なことまでしようって人物も現れちゃったんだ。』

 そもそもは、自分の卒論にしようと手をつけ始めた、さほど大きくもなく斬新でもないテーマだったのだそうで。触媒にあたる酵素だか物質だかがどうにも見つからないがため、誰もが仮説や持論を途中までは組み立てていながら、結論まで至れなかったという曰くつきの研究だった筈なのが。

  運がいいとか悪いとか 人はときどき口にするけど

 そういうことって確かにあると…って、某氏の有名なお歌はともかく。郷里から送って来た野菜を調理した手、きっちり洗わず ついうっかりと予備実験にかかったところ、覚えのない成分がなかなか良好な結果を弾き出しており。まさかと思いつつ、それしかない心当たりから抽出された酵素が、途轍もない効果を発揮することが判明し。

 「でも、その段階ではまだ、
  答えが見つかったのか、そうか君は運がいいよと。
  その程度の評価というか、話題どまりだったんですが。」

 当初、その素材を必要とするだろう方面からは、せいぜい実験素材としてしか把握されておらずで。たやすく手に入るようになるのかそれは助かるなと、その程度の評価しか寄せられはしなかった。ところが、そんな彼のレポートをどこぞかで目にされた、思いも拠らない分野のかたがたが、それって実用に使えますよという“応用”を研究室へと多数持ち込むようになったことから、急に話が大きくなり始めたのだそうで。それを応用した製品を売り出させて欲しいとか、自社研究の中へ成果を取り入れさせて欲しいとか。報酬はいかほどでも。何なら本社研究室への主任クラス採用という優遇も致しますと、引く手あまたな状況にまで発展したから、さあ大変。

 「何と言っても大学の研究室で発した成果、
  そこでと、まずは各方面とやらへも相談したのですが、
  大学側は名前だけ添付してくれればいいとのお話で、
  教授もまた、どこの研究班から発したかを記してくれるならそれでいいと。」

 「欲のない方々なのだな。」
 「はい。何せ、大学の研究所というものは、
  基本的に利潤を追求する目的で機能してはいかんので。」

 ふ〜んという相槌を打ったものの、ここに七郎次や平八がいたならば、きっと複雑そうな顔になったに違いない。こんな言いようをする久蔵だとて、欲しくてならないとするものは今までこれといって無かったクチらしく、打ち込んでいるバレエにしたって特に主役がやりたい訳でもなしと、信じがたいほどの寡欲さでここまで生きて来た女子高生なのだからして。まま、今はそれもともかくとして。何でまた、この非常時に見合い相手の神田氏の話を聞いている久蔵なのかと言えば、

 『実は、追っ手の中に気になる顔がありましてその〜〜〜。』

 どうやら相手限定の追っ手らしいことが判明し、あんたは隙を見て逃げなさいと言い諭しかけたお嬢様だったのへ、神田氏が“あのぉ〜”とそんなことを打ち明け始めてくれて。自信がないのか、はたまた あれってあんたの関係者かと怒鳴られそうで恐ろしかったか。もそもそと語尾がしぼんでゆく相手のお顔を、ぎりと力ませた目ぢからにて、間近から睨みつければ。猛獣に睨まれた小動物よろしく、大の男がびくうっと肩を跳ね上げた。

 『す、すいませんっ、い言います言いますっ。』
 『判ったから大声を上げるなっ。』

 見つかったらどうするかと。久蔵が小ぶりな手を延べて相手の口元をふさいだその場所はといえば、

  いつ扉が開いてもおかしくはない、
  エレベータ・ゲージの中であったから。




       ***


 話をちょいと逆上れば、最初に乗り込もうとしたエレベータ・ゲージの手前にて、怪しい声を掛けられた彼らだったのだが。何とも恐ろしい囁きを聞いた久蔵お嬢様が、一番最初に解析したのは、自分へと突きつけられた“何か”の正体だというから…相変わらずに勇ましい。まま、それは今更なことなので、嘆くのもお説教も後で別なお人に盛大にぶちかましていただくとして。
(あはは) 今時は日本でも、拳銃なんていう物騒なものが手に入らないことはないご時勢だが、そこまで確実な得物を用意して、たかだか高校生の少女を、拉致、若しくは征服しようと構えるものだろか。パニックを起こして駆け出したら? 凍りついて大人しくなったらなったで、足が竦んで身動きが取れなくなったら? 計画性のある行為ならではの周到さから用意したなら尚更に、こんなのっけにそんな恐ろしげなものを使いはしなかろ。そう、銃を使うほどの大ごとといやあ、ホテル丸ごとの制圧とか、誰かを人質という楯に取り、もっと大きな組織や機関へ何かしらを要求する政治犯的な取引とか…と。そういったことをぐるりと考えてみた頭の中とは別口、体のほうはもっと俊敏に何かを嗅ぎつけていたようで。曰く、

  こやつ、鍛えようが足りなさすぎないか?、と

 何もスポーツや格闘技とまで言わぬ。拳を振るっての喧嘩という格好ででも、それなりの修羅場を踏んでいるならば、今日び、街中のチンピラでももっと二の腕が張っているし、何かを握った拳の堅さもこんなものでは収まらぬ。それに、手にした武器を即座に閃かせるつもりで構えているのなら、上胸筋がいつでも動くぞというロックオン状態になってなきゃおかしいと。薄手のカットソー越しに背中へと触れた、相手の筋骨からそれが拾えたあたりは、さすが希代の感覚の鋭さを買われた天才バレリーナさんであり。そうと判ったと同時、

 『……あ。』

 ゆらふらりとその身を傾けた動作は、何とも頼りない、ともすりゃあ儚げな揺らぎようだったので。あまりの怖さから貧血でも起こしたかと、誰の目にも映ったことだろうが、

 “選りにも選って、
  言うことを聞かせようとしていた奴が たじろいでどうするか。”

 意識がなくなってはお荷物になるのなら、一応は受け止め、誰かと周囲に声をかけ、様子がおかしいとホテルの係員へ任せて逃げればいい。若しくは抵抗出来ぬをこれ幸いと、そのまま抱えてでも連れ去ればいい。避けようとしてだろか、あわわと上ずったような態度で後ずさった、何とも情けないその反応で、不慣れな素人だと確定出来たのでと、そのまま…やはり自然な動作にて、後ろの方向へとたたらを踏むようによろめくと。フェミニンな装いに合わせてのこと、それはかかとの細いハイヒールの足元で………

 『…………………っ、てぇーーーっっ!!』

 すぐ後ろにいたその誰かの足元を、そりゃあ思い切り踏みつけてやる。ほっそりとした痩躯のお嬢様だから、ただ乗っかっただけなら大した重みはなかろうが。勢いをつけての一点集中、しかも全く鍛えていない足の甲を目がけ、どんっと思い切り尖ったヒールで踏みつけたれば。安物の靴なら、革を貫くほどの威力だって出るというもので。

 『あ、キュ、キュウゾウさん?』

 何が起きたか、当事者だってのに理解が追いついて無さそうだった神田氏の手を、素早く掴むとぐいと引き、

 『走れ。』

 踏み付けたところにバネをため、もう次の行動へとその身の力ベクトルを転じさせている切り替えは、現今 馴染んでいるバレエだけから得たものか。それとも、もしかして…前世で斬艦刀に乗っていた頃、それは鮮やかに発揮していた空中戦での八叟飛びを、何とはなく思い出しての応用か。瞬く間とは正にこのこと、一縷の迷いもないそれは思い切りのいい英断と瞬発力とで、まだ押さえ込まれてはいなかったその隙をつき、勢いよく横方向へと駆け出しており。そちら様もまた あんまり運動には縁のなさそうな院生の青年を、すぐにも足がもつれて転びそうになりかかるところ、上手に舵を取ってやっての導いて、エレベーターホールを通り過ぎ、もっとずっと奥向きへと直進する。

 『な…っ。』
 『追えっ!』

 視覚反射に、だが体がついて行かないのへ歯軋りしつつ、手の中からスルリと逃げた二人の獲物をただちに追う一団。他にも仲間がいたらしく、5、6人ほどが同調して駆け出しており。とはいえ、

 『ちょっと何の騒ぎなの?』
 『何、痛いっ。』

 連休の真ん中だけあって、利用者は少なくはなく。しかも奥向きほど宿泊客のための区画なので、泰然とした方々がゆったりと進んでおいで。そんな緩やかな流れを慣れのない者が突っ切ろうたってそう簡単にはいかないワケで。

 “……何人かは、二度と来るものかと しくじるんだろうな。”

 静かで安心なことも売りだったホテルだけに、そこに傷をつけちゃったことは胸に痛かったが。非常事態だごめんあそばせと、早瀬を泳ぎのぼる鮎のように、するすると人の間を上手に選んでの駆け抜けて。ひょいと飛び込んだのが、今まさに扉が閉まろうとしていた一番奥の、宿泊エリアへと停まる仕様のエレベーター。手前の中央ホールにあったそれは、4基すべて客室のある階は通過するようになっており。最上階のラウンジや展望フロア、屋上の空中庭園などを利用するお客様のためのもの。よって外を向いてる2基は遠くまでを眺め渡せるよう、ガラス張りだったりもするのだが。こちらは宿泊客が使うものなので、落ち着いた内装とやわらかな照明のセッティングされた、丸きり別なタイプのそれであり。他には乗っている人もないまま、上へと上がってゆくゲージへそれっと飛び込み、安全装置が働き再びドアが開きかけるのを、ムキになって閉じろ閉じろと操作盤をばんっと叩いた白皙のお嬢様。その甲斐あったか、追跡者たちが追いつけたその鼻先というすんでで、ゲージは上階を目指して動き出し、

 『チッ。』
 『階段を使え。向こうのエレベータでは追えない。』

 こちらのフロアにも他に3基のゲージがあったが、どれもがゆっくりと上階から降りて来るところだったようであり。

 “わざわざ追って来るところを見ると。”

 誰でもいいという拉致犯ではないかと、そんな認識を新たにした久蔵としては。無差別犯じゃないのはある意味助かるなと、少しほど胸の閊えが降りたような気がしてホッとするところが…既に普通一般の女子高生の反応じゃあない。何であたし? どうしてあたしばっかこんな目に遭うの? とならない時点で、さすがは“もののふ”の生まれ変わりと見るべきか。(しかも かなり好戦的な・苦笑)

  ところで、どこから話が逆上ってしまったんだっけ?

 あ、そうそう。そんな追っ手の中に、自分に覚えのあるお顔が混ざっていたと、こちらの神田氏がおどおどと白状をし。彼は実は何だか途轍もない発見をしたお人で、どうかそれをウチの社で応用させておくれと、有名どころの企業が何社も研究成果を欲しいと申し出て来た…というところまでを聞いていたのだが。

 「で?」

 この一言、いやさ一語だけで、

 「ははは、はいっ。
  追っ手の中に見覚えのある顔がいたと言ったのは、
  あのその、同じ研究班員だった院生仲間が二人ほど。」

 話のつながりを訊いておいでの久蔵お嬢様なのだと通じるところが、土佐犬相手でもその目ヂカラのみにて従わす“最強覇王伝説”を学齢前に打ち立てた、紅バラ様の本領発揮ということか。そして、

 「……そうか。」

 そこまで明らかになれば、平八ほどには世情には詳しくない久蔵であれ、何とはなく背景が見えても来る。鮮やかなほど真っ直ぐ、この神田氏とそれから、見合いの相手だった久蔵とを捕捉していた彼らだったあたり、やはり入念な下調べをこなしているようでもあって。だがそこには、余計な罪は負いたくないと、自分らの経歴を汚したくはないからだという方向での、我が身大事な周到さも見え隠れ。本当に攫ってしまったら、たとえ身代金を要求しなくとも強制略取や誘拐罪、そこまで行かずとも最低で暴行罪が成立するからで。力技に不慣れな連中だったこと、それより何よりこの神田氏の顔見知りがいたことから察するに、

 「……彼らから、共同研究にしてくれと?」
 「いえ。そこまでは言われたことはないです。」
 「ふ〜ん。」

 ということはと。幾つか浮かんだ可能性の1つへ×をつけたところへと、

   がくん、と

 ゲージが停止したその反動が体へ伝わる。まだ昼間なので、宿泊客の大半は都心へのお出掛けという顔触れが大半な時間帯。しかも、このゲージはさっきの騒動の只中から上がって来たばかりのそれであり、他のゲージが一斉に下降していたはずだから、出掛けましょうよというクチの方々は見送るはずの“上へ参ります”ゲージなのに。

 「あの…。」
 「シッ。」

 再び手を伸ばすと神田氏の口元を覆い。それだけに止まらず、出来るだけ身を縮めた同士でくっつき合っての息を殺す。さすがに静音設計のゲージなので、ドアが開く音もそれは静かなものであり。だがだが、それを言うならば、誰かが乗るためのボタンを押したからこそ停まってドアが開いたのだろに、誰も乗り込んで来る気配がしない。いやいや人の気配は確かにするのだが、乗り込んで来ようとはしないまま、ゲージの中をしげしげと見回しているらしく。やがて、

 「…おかしいな。」
 「ああ。これって、
  1階からここまでノンストップで上がって来たはずだろう?」

 2階と3階にも、宿泊客ではなくとも利用出来るレストランやエステサロンが、それは贅沢なフロアを展開しており、これは…階数を示す表示灯を見る限り、そういう階を覗かずに客室へ直行するためのエレベータのはずなのに。だったら乗っているはずの存在が、ゲージの中にいないのが、階段を使い大急ぎで先回りをしたつもりの追っ手にしてみりゃ、こればっかりは信じられない眺めであり。

 「停まらないとはいえ、降りられるドアはあるとか。」

 片方はこのホテルの支配人と経営資本の取締役を両親に持つ御令嬢だったのだから、そういった融通にも通じているんじゃないかと言いたいらしい声がして。それはあるかもしれないなと別な声が同調し、ドアが閉じる音と共に、誰も乗り込まないままゲージはゆっくりと上がってゆく。高級ホテルのそれだといっても、大広間ほどもの広さがあるじゃなし、明かりにしたって、柔らかめとはいえ、壁に設置された鏡で髪形や姿を確かめるのに支障がないほどには明るい設定になってもおり。よって、そんな空間に、成人男性と女子高生の二人連れが乗っておれば、まずは見落としようがないはず。よって、

 「……諦めましたかね。」
 「見たままを素直に信じたならな。」

 こそりぼそりという控えめな会話の声が立って、奥の壁に設置されたあった鏡がふるると揺れた。そちらからトントンと何度か押しているような気配が立ったかと思うと、ぱかりと壁に四角い穴が空き、そこから出て来たのは追っ手を抱えてしまった久蔵と神田氏の二人だったから…………そんなところに隠れていた訳ですね。

 「よくもまあ、こんな仕掛けがあると御存知でしたね。」
 「まあな。」

 くどいようだが、彼女はこのホテルの支配人の娘でもある。そうそう頻繁に遊びに来ていた訳じゃあないが、それでも何かというと今日の見合いの席のように此処でのイベントとなったせいでか、内部に関しては従業員レベルで詳しくて。それに、

 「エレベータ・ゲージにこういう“隠し”があるのは此処に限った話ではない。」

 例えば、奥まった位置に鏡があるのは、車椅子やベビーカーを使う人が降りるときに背後を見渡しやすいようにだし。マンションタイプのエレベーターに多いのが、棺や若しくはストレッチャーを乗り入れられるよう、必要なときだけ ぱかりと開いて内部を広げる工夫としての“隠し”が壁の中にあるというもの。普段は閉ざされているのは、その広さまで使って毎度毎度人が乗ると重量オーバーになりやすいのと、大きな荷重によりブレーキ装置などの痛みも早まるからで。追っ手の彼らがそこまで知っていたら万事休すだったが、

 “頭でっかちな院生、
  しかも都市環境だの建築だのという方面の人間じゃあないなら、
  知らない確率の方が高かったからな。”

 それが判ったのはエレベータに飛び乗ってからでしょに。
(苦笑) でもまあ、多少は安堵してのこと、呼吸や何やを静めて相手の気配を拾うだけの余裕は出来たのだろうし、

 「恐らく、急襲の相手は、
  今日の見合いの話をどこかで聞いて、焦ってしまったのだろうな。」

 「え?」

 今さっき、しかも突然 襲い掛かられたばかりだってのに、もうそこまでを割り出せていた久蔵で。

 「共同研究という形にしてくれとも、
  言って来なかった連中だってのは、だ。
  他の教授らと同様、
  お前の手柄に手を出す気がなかったから…じゃあなく。
  盗み出す契約か何かを、
  とっととどっかの企業と結んでいたからかも知れぬ。」

 「ええっ?」

 こちらの端的な言いようが、聞こえているのか理解出来ているのか、何とも微妙だなと感じたほどに。幼い子供が わあとびっくりしたような、それは呆気ないほどの唖然としたよなお顔になった辺りもまた、この神田氏がいかに腹蔵のない人物かを物語っているようで。逆に言やあ、久蔵だとてさほど世慣れてはないタイプのお嬢様だが、それでもピンと来たのが、

 “とんでもないほど引く手数多な研究成果を、
  なのに“わあどうしよう”と処しかねているような御仁だからな。”

 どこへ渡せば一番儲かりそうかとか、優遇されそうかとか。検討さえもしてはないらしい彼なのが、初見の自分にさえあっさりと見て取れて。だから、どうとでも丸め込めると思っての焦ることもなく、パッとにぎやかになってる彼の周囲が落ち着くのを待とうと、のんびり構えていたのだろうに。教授の知り合いだという財界の誰かさんの口利きで、こたびの見合いの話が立ったと聞いて、そいつらは俄然焦り出した。相手は資産家で、しかも有名なコンツェルンの一人娘。となれば交友関係も広かろうから、件の研究も、それなら口利きをしてあげようなんて、話が一気にとんとん拍子に進みかねない。しかも、大企業の万全な“知的財産防御システム”が発動されたなら、もはや…丸め込むなんて次元の掠め取りなんて不可能になってしまおうから。

 『そっか、じゃあこの縁談を何としてでも破談にしたかったと?』
 『……。(頷)』
 『馬鹿な連中ですね。放っておいてもそうなったのに。』
 『あ、でも。
  見合いは破談になっても、
  そういえば面白い研究を進めておいでだそうでなんて、
  そっちのお話だけはしっかり取り込まれでもしたら、
  やっぱり甘い汁は吸えなくなるわよ?』
 『うあ、ヘイさんたらエグイことを思いつくなぁ。』
 『そうですか? このくらいは思いつくでしょう。』

 なので。連中としては、神田氏だけじゃなく、見合い相手の久蔵も込みで怯えさす必要があった。こんな事態に襲われたなら、どうせロクに彼女を守りも出来ぬ男だろうから、お嬢様も幻滅するに違いなく。あんな人とは金輪際、縁など持つ気もないとまで、忌まわしい印象を植えつけたい連中であろうと思われて。

 “…でも、それだけにしては。”

 機敏に駆け回る顔触れもいたのはどうしてか。そういう荒ごとを請け負ってくれる顔触れを、
“闇サイトででも募ったか。”
 ……何でそんなことを御存知ですか、久蔵殿。
“ゆっこに借りたジュブナイルに出て来た。”
 こらこら。
(う〜ん) それはともかく。今のところはどこへも停まらぬまま上昇を続けるエレベーターだが、そうそういつまでもこれに乗って息をひそめてもいられない。かといって、母上たちが待つラウンジへ真っ直ぐ向かってもいいものか。こうなりゃいっそと、合流したラウンジへ乱入して暴れるという手を、雇った連中にだけさせるという破れかぶれな手段をも取りかねずで。そんな荒い策なぞ、警視庁が誇るシチの想い人の手にかかれば、たやすく関係者全員への追跡も出来ようが、後日の解決よりも今日の安寧。そんな大騒ぎでラウンジを荒らされ、ホテルの評判を落とされてはたまらないと感じた久蔵でもあって。……おおお、神田氏を疫病神として印象づけることへは、既に成功しているワケやね。(こらこら)

 「…そうだ。お前さえ此処から出せれば。」
 「はい?」

 そうだそうだと、何へか納得したらしい久蔵お嬢様。さっそくとばかり、ポケットから取り出した携帯で、とある相手へとメールを打って……数刻後。

 「…………っ。」

 不意にマナーモードの静かな唸り声が聞こえて来、ぱかりと開いた携帯から紅バラ様のお耳へと聞こえた声は、

 【 2年振りだね、お姫様。】
 「相変わらずだな、結婚屋。」

 ……………一体 誰へかけたんだ、久蔵殿。






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 *兵庫せんせえの“間違い探し 先行版”

  今時は日本でも
  拳銃という物騒なものが入手可能ではあれど。
  そこまで確実な得物を用意して、
  たかだか高校生の少女を、
  拉致、若しくは征服しようと構えるものだろか。
  計画性のある行為ならではの
  周到さから用意したなら尚更に…云々と、
  前半のほうで色々と
  それらしい考えを巡らしていた久蔵お嬢様だが、

  「0点だ、0点。」
  「???」

  「よしか? 今時は、
   きっちりと計画してだの周到にだのというよな、
   折り目正しい盗っ人や強盗なんてのは滅多におらん。
   それこそ、ドラマや映画にしか出て来んほどだ。」
  「?」

  「何の思惑も計画性もなく、
   通り魔的にいきなり人へ切りかかる馬鹿もんが、
   何人も何人も出ておろうが。」
  「……。(ふ〜ん)」

  「それと。
   お前は日本でも屈指という財閥のお嬢様なんだぞ?」
  「???」

  「…まあ、財閥というのは、
   草野さんチみたいな元華族とかいうイメージがあるからな。
   おまけにあの女学園はそういう御令嬢だらけという環境だから、
   感覚がマヒしやすいのかも知れんが。」
  「…、…、…。(頷、頷、頷)」


   「……お前はホンットに自覚が無さ過ぎるんだよなぁ。」
   「???」

  大変ですね、兵庫せんせえ。
(苦笑)


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